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神戸ルミナリエ

リンデンにせがまれて神戸ルミナリエに一度だけ行ったことがある。
多分始まって2年目だったような記憶がある。
点灯を待って入場したのでその人の多さに驚き、
もみくちゃになりながら撮った雄一の写真がこれ。
構図など構ってられない。撮るだけで精一杯という印象だった。

神戸ルミナリエ

それから十数年経つと手にはハイビジョンカメラが・・・
デジカメに比べると何と楽か。

軽いしピントも光の調整も勝手にやってくれてしかも美しい。
光のルネサンスはデジカメではなく、ビデオカメラだけで
撮ることにした。

撮った動画は編集し、
ULTRA X'MAS misia
すてきなホリデイ 竹内まりや
サンタと天使が笑う夜 Dreams Come True
クリスマス・ラブ (涙の後には白い雪が降る) サザンオールスターズ
の4曲を重ねて、クリスマス用のPVに仕上げた。
プロ級の仕上がりだと自負している。

「ルミナリエ」はヨーロッパのバロック時代(16世紀後半、
ルネッサンス期)に盛んに創られた祭礼や装飾芸術の
ひとつとして誕生した、光の魅力を駆使した建築物が
その起源とされている。
やがてイタリア南部において電気照明を使用した幻想的な
光の彫刻に変化を遂げ、現在の形態になったものです。

さまざまなデザイン様式の木製アーチの構造体に
色とりどりの電球で彩色が施され、その設置デザインに
よって三次元的な芸術空間を創造するもので、
アーチ型構造体を道路上に設置した「ガレリア」と
呼ばれる遠近感のある回廊や、「スパリエーラ」と
呼ばれる光の壁掛けなどで構成されます。
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大和高田市 奥田の蓮とり行事

七夕が近づくにつれ、池には鮮やかなピンク色の
蓮が大輪の花を咲かせます。
奈良の名所では、西の京、天平の甍で知られる唐招提寺。
数ある品種の中でも花弁が個性的な奈良蓮に目がひかれます。
あまり知られていませんが大和高田市奥田の「蓮取り行事」が
開かれるのが七夕の7月7日。

大和高田市奥田の蓮取り

皆さんも一度はテレビで見たこともあるユーモラスな
「蛙飛び」は吉野山の蔵王堂で行われる「蓮華会」の中の行事。
この式に添えられる蓮はこの奥田の捨篠池でその早朝に
摘み取られものです。

すでに600年続いているそうです。
蓮は日の出とともに花を開き、正午頃にはすぼんでしまいます。
早起きは三文の得、花開いた蓮にご対面できればお金に
換えがたい心の安らぎが得られるかも。

蓮とり行事についての詳細をご紹介します。

「ときの流れをたどる民話がいまに生きる
 奥田の蓮とり行事」

毎年7月7日、吉野山の蔵王堂で、蓮華法会に献ぜられる蓮
は、古い時代から大和高田市奥田の蓮池から摘みとられていま
した。奥田の人々によつて、いまも年中行事の一つとして大切
にまもり伝えられている蓮とり行事や、語りつがれている「ひ
とつ目蛙」の民話などが、このことを語つています。

7月7日、夜明け前に、奥田の村人が蓮を切りとります。午
前11時ごろ、善教寺を出発した修験者の一行は、行者堂(福
田寺)、刀良売の墓を詣で、蓮を捧げます。早苗が風に揺れる
田んぼ道を一行は、捨篠池畔の弁天神社にもどり、護摩をたい
た後、吉野にむかうのです。

〔奥田蓮池のひとつ目蛙〕
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を
養つているとき、夏のある朝、池の中にまつつてある神社に詣
でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光つた蛙が
いました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に
投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしま
いました。そして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙とな
つて浮いてきました。そして五色の露も消えてなくなり、一茎
二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この
池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮
は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいこ
との前兆ではないかとして、朝廷に献じたこともあつたそうで
す。この異変ののち、この池は捨篠の池と名づけられたといい
ます。

刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりまし
た。母を亡くした小角は、心に誓つて修験道をひらき、吉野山
に入つて蔵王権現をあがめ、蛙をまつつて追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって
来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峯
山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、
吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。

〔役の行者の母、刀良売の物語〕
役行者の母(刀良売。とらめ)は、奥国の善教寺のあたりに
住んでいました。子どもがなかつたので、毎日、神仏に子ども
を授けてくださるようにお祈りをしていました。
ある日、刀良売は、天から金の独鈷が落ちてきて、それを飲
んだ夢を見ました。舒明天皇の6年(634年)正月、捨篠神
社に刀良売が安産を祈願していると、ふしぎなことに池の中か
ら、ホラ員の音が聞こえてきました。身重の体に、出産の近い
のをさとつて、近くの井戸の水をくみ、口をすすぎ、再び神様
に願いをかけ家に帰ると、たちまち一子が生まれました。これ
が現在、善教寺境内にある井戸で、「役の行者産湯の井戸」と
いわれています。角磨という父の名の一字をとつて、小角と名
づけました。

役行者の母(刀良売)の墓と伝えられる五輪塔が、奥田捨篠
神社の北西300メートルの田んぼの中にあります。また、奥田
行者堂に刀良売の寝姿の像があります。ネハン像といつていま
すが、目を開き唇を赤く染めて口を開いています。右手はひじ
をついて、あたかも釈迦の涅槃の光景のようです

〔役の行者と吉野の蛙とび〕
延久年間(1069~1074年)、高慢な男がいて金峯山
で修行中、蔵王権現をあなどる暴言をはいてしまいました。す
ると、どこからともなく大鷲が現れて男をさらい、断崖絶壁の
上に置き去りにしてしまつたのです。さすがの男も真つ青にな
り、震えながら自分の言動を後悔しました。そこへたまたま通
りあわせた金峯山寺の高僧が、この姿を哀れに思い、蛙の姿に
変えて助け出してやりました。

そして、蔵王堂へ連れて帰り、吉野全山の僧侶が集まって経
を読み、その功徳によって、やっと元の姿に戻すことができた
といいます。

この伝説にもとづいて、毎年7月7日の蓮華会の日に、蛙飛
び行事がおこなわれます。

布で作つた大きな青蛙の中に人が入り、青年たちがかつぐみ
こしに乗つて、吉野山の旅館街を練り歩きます。そのあと蔵王
権現の前で、数人の僧が祈るなか、布の蛙から人がはい出して
くるという行事です。

役の行者は、一千日におよぶ苦行の末に、金剛蔵王権現を感
得しました。つまり、役の行者が創造したご本尊であり、これ
を桜の本に刻んで、山上と山下の蔵王堂にまつりました。山上
の蔵王堂とは、つまり大峯山寺本堂です。蔵王権現のありがた
い神力をあがめる山伏が、この蛙飛び行事として、ユーモラス
におこなわれているものと考えられています。

〔役の行者〕
役行者は、「日本霊異記」によると、「大和の国葛木郡茅村人
で、生まれながらに賢く、村一番の博学でした。三宝を信仰し
て、これを業としていました。いつも願うことは、五色の雲に
乗つて、はてしなく大空の外に飛び、仙人の宮殿に遊ぶ、客人
と一緒になつて一億年たつても変わらぬ園に遊び、花に覆われ
た園に伏し、力を養う霞などを吸つたり食べたりすることです。
このため、晩年四十歳で、さらに厳窟に住み、かずらを着、松
を食べ、清水の泉で沐浴し、三欲の世界の垢を濯ぎ、孔雀の呪
法を修得し、ふしぎな威力のあらわれる仙術を、身につけるこ
とができました。」ということです。

伝説上の人物、架空の人物と考えられがちですが、実は、官
撰の歴史書にも登場するれつきとした実在の人物なのです。延
歴16年(797年)の「続日本紀」に不思議な登場のしかた
をしています。「文武天皇3年5月24日(699年)役君小
角、伊豆島に流される。はじめ小角は、葛木山に住み、呪術で
たたえられていた。韓国連広足は、小角に師従していたが、の
ちにそのちからをねたみ、 また、先ほどの、「日本霊異記」
には、「孔雀王の呪法を修持し異しき「験力」を得て、
現に仙となりて天に飛ぶ縁・・・・」とあります。

小角のあまりに強い呪術のため、国家転覆を謀つているとい
う、あらぬ疑いをかけられてしまいました。母刀良売を人質に
とられ、やむなく、母を逃がすため出てきてとらえられ、すぐ
さま伊豆島へ流されました。

この島に放たれて苦行を積むこと3年、大宝元年(710年)
ついに仙人となって、天に飛んで行きました。
民衆にとって美化された英雄が、「官」側に殺されるのでは
なく、実は、遠く生きのびていたのだというモチーフが、この
役行者伝説にも含まれているように思われます。

どこか源義経が、衣川で討ち死にしたのではなく、遠く蝦夷
地まで逃れた話や、筑紫君磐井が、継体天皇側の御井で討ち破
られたのではなくて、その後、豊後に逃れた話に似ていたとこ
ろがあるように思われます。

事実は、役行者は流罪のまま一生を終えたようです。人々は、
役行者という偉人を惜しんだがゆえに、のちに新羅などの遠く
の国に登場させたりしたのではないでしょうか。役の行者のこ
とは、種々の有名な文献史料に記されていますが、奥田善教寺
に、文化11年(1814年)、竹口英斉が記した「善教寺役
行者略縁起」が、残されています。

また、吉野の神官であつた、前坊家の江戸時代の文書には、
奥田蓮池の蓮とりのことが記されています。(文吉村芳倶氏)