FC2ブログ

加藤登紀子のほろ酔いコンサート

  • Day:2012.08.26 17:14
  • Cat:長龍
色紙のサインに1979年とある。
今から33年前になる。

株式会社飯田に入社し、長龍の企画と宣伝を担当するように
なったのが25歳の頃。お会いしたのは毎日ホールだった。
年末になると決まってほろ酔いコンサートを全国の主要な
都市で開催するのが通例になっていた。

京都は歌舞練場、大阪は毎日ホールで行われるコンサートに
スポンサーとして振る舞い酒を用意するのが長龍の役割だった。

加藤登紀子ほろ酔いコンサート表紙
会場と同時に押し寄せる来場者に木の杓でロゴ入りの紙コップに
お酒をついで渡していく。ベルが鳴るまでの30分なので
とても忙しい。良く飲む人は何度もお酒を取りに来る。

2度ほど手伝いをした時に、もう一日コンサートを増やして
長龍貸切のほろ酔いコンサートを長龍の愛飲家だけ招待して
実施したいと願い出た。
いい案だと受け入れてもらった。

秋の需要期に葉書をお酒に添付し応募者を集めた。
厳選に抽選し一千名近い愛飲家と会うことができた。
もちろん長龍のCMソング
♪なるほどよい酒 ちょう~りょう~♪も歌ってくださった

加藤登紀子さんといえば知床旅情を思い浮かべる。
森茂久弥が作った歌を加藤さんも歌った。
結果的に加藤さんの歌の方がヒットし、昭和を代表する
歌の一つになっている。

その後百万本のバラ、難破船などを出し、宮崎はやお率いる
スタジオジブリの「紅の豚」の主題歌や高倉健主演の
居酒屋兆治などの出演もあった。

中国生まれで京都育ち、京都のおうちはロシア料理の店として
知られる。ご主人は学生運動の闘志で留置場生活を経験している。
その時の歌が、ひとり寝の子守唄だと言っていた。

コンサートの度に楽屋を訪ね挨拶をしCDにサインをおねだりしてきた。
リンデンと知り合った頃には百万本のバラのCDに妻の名前入りの
サインをしてもらってプレゼントにしたり。

長龍の歴史を語る時に、かかすことができない人となっている。
スポンサーサイト



川崎徹(かわさきとおる)と長龍

  • Day:2012.08.25 21:00
  • Cat:長龍
1990年8月17日 川崎徹氏が長龍にきた。
秋からのCMを彼にお願いすることにしたから。

やる気はためき株式会社 長龍 と連呼するCMで
商品別にいくつかのバージョン違いを用意した。

出演するのはすべて長龍の社員だ。
そのための実行委員会を作り、部署代表者20名で会議を
開き、応募者を決めオーディションのテープを彼に
送り出演者を決めていった。
中には社長が登場するシーンもあった。

川崎徹の色紙

この種のCM撮りには彼は定評があり、その代表作には
関西電気保安協会のCMがあった。

ナレーションは素人なので難しくうまくしゃべれない。
そこで女性二人に同時にしゃべらせしかも早口言葉のように
普通よりも早くしゃべるように指示していた。
できあがればそれなりに聞こえてくる。
モームスでもAKB48でも複数人ではもれば上手にきこえて
くるから不思議だ。

このシリーズは2年続いた。
知名度は上がったがお酒の味が変わったと従来の愛飲家から
お叱りの声もあがった。日本酒のCMは、きれいどころが
出てきてお酌をしたり歌を全編に流すなど昔の手法が
今も常套手段として通用する保守的な業界なのかもしれない。


プロフィール・ガイド

川崎徹(かわさきとおる)
1948年東京都生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業。
電通映画社に入社し、CMディレクターとして80年代を活躍。

糸井重里、仲畑貴志とともに広告業界を遊んでいた。

富士フィルムでの「それなりに」など生み出された流行語多数。

不可思議な小説も書く人です。昔のものは手に入りませんが、
『〇(ゼロ)』あたりはまだ買えます。
タレント的認知のほうが大きいのでしょうかね。

難波利三と長龍

  • Day:2012.08.25 20:00
  • Cat:長龍
毎年秋になると日本酒の需要期になる。
その頃に頒布会の案内や秋の消費者プレゼントの案内などの
ダイレクトメールを出すのが恒例となっていた。

一度お酒に関する思いをエッセイに綴ってもらいたいと
関西を中心に活躍している文筆家にお願いすことにした。

そんな中で浮上したのが難波利三氏だった。
難波さんは根っからの日本酒大好き人間、きっと快く
受けてくれるだろうと代理店にお願いしてみた。
結果寄稿してくださり無事企画は実行された。

難波利三の色紙

難波 利三氏プロフィール

昭和11年(1936年)9月25日生まれ。 島根県温泉津町(ゆのつちょう)出身。
現住所:大阪府堺市晴美台 関西外国語短期大学中退後、
プラスチック業界新聞に勤務中病気に倒れ療養のかたわら執筆活動を行う。

昭和39年(1964)「夏の終る日」小説新潮人選
昭和47年(1972)「地虫」(じむし)第40回オール読物新人賞受賞
昭和59年(1984)「てんのじ村」第91回直木賞受賞
平成10年(1998)第33回大阪市「市民表彰」(文化功労部門)受賞

日本文芸家協会会員
日本ペンクラブ会員
平成11年(1999)10月 大阪市立クラフト(工芸)パーク 
初代館長に就任。大阪市教育委員以上に属して、
人情ものの現代小説を各誌に発表するかたわら、
テレビ出演、講演などに活躍中。

主な著書
てんのじ村(実業之日本社) 
イルティッシュ号の来た日(文芸春秋社) 
大阪希望館(JDC)
大阪笑人物語(新潮社)舞台の恋人(中央公論社)
小説吉本興業(文芸春秋社)
草暖簾(くさのれん)(実業之日本社)など多数。

成瀬國晴と長龍

  • Day:2012.08.25 20:00
  • Cat:長龍
根っからの阪神ファンの成瀬さんはタイガースのイラストなど
多くの作品を残している。

長龍愛飲家の会報に彼のイラストを起用したことでご縁ができた。
その時の差し入れの長龍に対し色紙を書いてもらった。
その手際の良さ、完成度の高さにプロを実感した。成瀬國晴色紙


成瀬國晴氏は、大阪市浪速区日本橋3丁目旅人宿「むかでや」の
4人兄弟の三男として生まれる。

関西を活動の拠点とし、テレビ番組のロゴや番組セットのデザイン、
落語会のポスター画などを手掛ける。
主に、著名人の似顔絵を描く。

川村龍一と長龍

  • Day:2012.08.25 20:00
  • Cat:長龍
仕事上の関係はなかったが芦屋でも加藤登紀子さんの
コンサートでお会いして長龍の大吟醸酒を進呈した。

その時のサインがこれ。音楽通の川村龍一は時々
渋い声で小生の知るアーティストなど紹介していたので
男子寮の寮管をしていたころ目覚まし替わりに
毎日放送の「おはよう川村龍一です」を鳴らしていた。

川村龍一の色紙

川村 龍一(かわむら りゅういち、1943年4月7日生れ)はラジオパーソナリティー。
東京都で生まれ、神奈川県と兵庫県で育つ。

兵庫県立芦屋高等学校、関西学院大学文学部卒業。
学習研究社勤務(音楽雑誌編集スタッフ)を経てパーソナリティーに。
デビュー当初は東京を中心としたが、現在は関西に本拠を置く。

愛称は「デデちゃん」。
ディスクジョッキー初期の頃は、芸名を「矢沢 二郎(やざわ じろう)」、
後に「川村 尚(かわむら ひさし)」と名乗っていた。

1983年から2002年まで、毎日放送ラジオの「おはようMBS」
(後に「おはよう川村龍一です」)に出演。

それまでの音楽DJから一転、朝の情報ワイド番組を担当し、
同局の聴取率アップに貢献する。

中でも1995年に発生した阪神・淡路大震災の時は、本番前、兵庫県
芦屋市の自宅出発直前に被災(自宅の倒壊は免れた)。

放送開始(午前6時30分)のスタジオ到着には間に合わなかったものの、
大阪・北区の毎日放送本社まで、タクシーで移動しながら携帯電話で
レポートを入れ続けた。

「阪神高速道路神戸線の高架が倒壊した」という情報は、どこのメディアよりも
早く川村が、この番組の冒頭で伝えた。

この災害放送が評価され、1995年度のギャラクシー賞(放送批評家協会賞)の
ラジオDJ・パーソナリティー賞を受賞した。
2006年4月から、大阪芸術大学短期大学部広報学科教授兼広報学科長に就任した。

出演番組
「ヤングおー!おー!」 
「MUSIC IN USA」
「POPS IN PICTURE」 
「ダンシング・ベースボール」
「おはよう川村龍一です」
「火曜S 川村龍一のリバー・オブ・ドリームズ」