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奈良に伝わる茶粥の専用のおかいさん茶

  • Day:2011.07.31 09:00
  • Cat:料理
奈良県下北山村。
大阪からだとゆうに4時間はかかる
奈良県と和歌山県の県境にある小さな村です。

ここに住む日浦さんに通称「おかいさん」こと
茶粥を作っていただきました。

お手製のほうじ茶を大き目の鍋にたっぷりわかし、
水洗いした生の米を入れ強火でグツグツと煮込む。

米に火が通ったら茶袋を取り出し、弱火で少し煮詰める。
炊き上げること約20分、長年の勘からくる絶妙の
タイミングで香ばしい茶粥の出来上がりです。
日浦さんの茶粥

写真は茶粥と奥に見えるのは下北山村特産の
春真菜のめはり寿司。

「孫やらお客さんがきたら必ずちゃがいやね、
焼いたトチ餅を入れてもおいしいよ」

箸休めのお漬物もご自慢の真菜漬をポン酢で和えたもの。
相性も良く「べとつかずサラッとして」何杯でも
おかわりしたくなる味です。

奈良で茶粥が食べられるようになったのは、かなり
古く、東大寺二月堂のお水取りでの食事の献立に記録が
あることから千年も昔から食べられていたのでは
ないかと言われています。

吉野・熊野を初めとする紀伊半島では、山が深く、
平野が少ないため田んぼが開けずお米の供給が
少なかったことから茶粥が好まれたともいわれています。

戦時中の食糧難を経験した方々には粥さんというと
貧乏時代を思い出すからと避ける人も多いようです。
また病気をした時の養生食としてのイメージもあり
マイナーな印象が拭いきれませんが、飽食の今
低カロリーで手軽な健康食として見直されてきています。

冬はアツアツの茶粥で暖まり、夏は冷たくした茶粥を
サラサラと食べる。梅干しや漬物で茶粥をサラッと
食べるという伝統的な食生活。

あなたも一度試してみませんか?
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変な鍋、長谷製陶の蒸し鍋って何?

  • Day:2011.07.29 21:00
  • Cat:商い
ビヤマグはビールを飲むよりも焼酎の方がピッタリと
あってるように思う。
というのは陶器ではビールの色合いが見えにくく清涼感も
損なわれるような気がする。
中には泡立ちが良くクリーミーなビールが...と謳っている
ものもあるが・・・

伊賀の長谷製陶のマグに出会ってから私はそれを焼酎の
湯割りに使っている。お湯を入れてもガラスではないので
割れる心配もなく、土物の素朴さが南九州の土着の
焼酎と良くマッチしていて味わいも増すように感じる。

最初にお湯を入れて残り3分の1に焼酎を入れる。
焼酎の方が比重が重いので下へいこうとするので良く
混ざるという。
湯割りは、芋、米、黒糖、泡盛何でもいい。
ただ麦焼酎と甲類は好んで飲む方ではない。
このマグが気に入って焼酎の頒布会のノベルティに採用した
ことから、一度現地を見ておこうと長谷製陶を訪ねる
ことにした。

5月のゴールデンウイークに毎年陶器まつりを独自で
開いてるそうで、そのイベントにあわせていく事に。

自宅を開放してお抹茶の席にしていたり、難もの半端ものの
即売があったりで陶器好きの方には楽しい時間が過ごせる。
中には作家者の素晴らしい作品が展示してあったり。

長谷園のIH対応の蒸し鍋

そんな中でデモ販売していたのが、伊賀焼きの鍋で中に
蒸し器代わりの陶製スノコがついた、「蒸し鍋」という代物。
その時はプチトマトをボイルしており、一口食べると生には
ない甘味と酸味があって美味しく感じた。

夏場は豚肉や鶏肉、野菜をボイルして食べると下に油が落ちて
ヘルシーな食べ方になるし、冬は中のスノコを取り除いて
鍋としても使えるとのうたい文句につい買ってしまった。

もともと伊賀焼きは万古焼(ばんこ)と並ぶ鍋の産地。
長谷製陶は、鍋以外にも乳白色の陶器の種類が多く、
斬新なデザインと色合いが私ども夫婦の好むところとなり
一気に食器棚が長谷製陶の器で埋まることになっていった。

それに懲りずに、奈良漬の店でもちょうど漬物を盛るのに
ピッタリの乳白色の角皿を紹介がてら販売することにし、
おまけに長谷製陶の陶器まつりのPRをすることにした。

単に奈良漬を販売するというのでなく、取り巻く関連商品、
有機米や茶葉、陶磁器などを取り上げることで、食への
提案とその文化的な匂いを発散させる。
そうすることで目が肥え、口が慣れた年配の方々、特に
高い教育を受けたハイセンスな奥様方に飽きられない
店造りを目指していきたいとの想いがあったからに他ならない。

丹波わかさやの枝豆・黒豆は格別の味わい

  • Day:2011.07.25 21:00
  • Cat:料理
10月の末に枝豆はないだろう。
そう思われるかもしれない。
しかしこれ、ただの枝豆ではない。

丹波篠山の特産黒大豆、その若莢(わかさや)である。
正月の煮豆に使われる高級黒豆をまだ若い時期に枝豆として食す。
ちょうど今が収穫期。
期間は短く2週間程度という。

丹波の黒豆 若さやの枝豆

たまたま1キロほど手に入ったので早速茹でた。
なにしろ粒が大きい。
誇張ではなく倍ほどある。
莢の外から黒く透けているのがわかる。

茹で立てを一粒食べる。
ほくほくとしてこれはもう別格だ。
強烈な豆の味がする、香りがする。
安物のセット料金で出てくる冷凍もの
などはもう食べたくなくなる。

灰汁も強く、地と日の力を感じる。
もはやビールの脇役ではない。
一粒一粒を大切にさやから取り出し、もぐもぐと顎を
使ってしっかり噛む。

缶ビール片手に食道へ自動的に放り込むような食べ方は
とてもできない。
食べだしたらもう止まらない。
「豆」というものが本来持っている濃厚な凝縮感を
堪能した。

将来の夢は、桜前線にあわせた桜撮影紀行?

  • Day:2011.07.18 21:00
  • Cat:旅行
社歴80年ともなると定年組も年に10人近くおり、彼らを見送る
たびに自分の将来のことを思うようになってきた。

現在48才なので定年まであと11年ちょっと、次の年男が回ってきたら
定年となる。
「俺もあと3年や」
「だれだれさんは来年か、何月までか?」
とか。
近くに定年間近な人がいると飲んでる内にそんな会話が出てくる。
たいていの場合、
「定年がきたら何何をしたい」
といった明確な意思がなく、話がマイナスの方向へ行きがちなので
その会話には乗らないことにしている。

自分自身はというと、社内の自己紹介にも書いたが、写真が
趣味なので桜前線に乗って、まずは2月の沖縄の緋寒桜から始まって、
最後はゴールデンウイークの後に桜の開花を向かえる北海道まで
全国を南から北まで、軽トラックに生活用具とカメラ、パソコンを
積み込んでさくら行脚したいと夢を見ている。
その土地土地のおいしいもの
(高い品でなく、地元の人が毎日食べる品)を食べ、銭湯や
公営の温泉ランドにはいったりののんびりした旅がしたいと。
秋は紅葉前線に乗って、北海道から南下するとか。
ある程度の資金がないとできない相談なので実現できるかどうか
疑問だが。
リンデンは一緒には行かない。一人で行ってねと言う。
写真は最近有名になって整地も進みたくさんの人が
くるようになった、宇陀の又兵衛の枝垂れ桜。

宇陀 又兵衛の桜

もう一つ思っていることは、明日香が近いこともあって、
明日香や葛城の道、法隆寺など主に奈良県中部の観光地のガイドを
かってでること。
できれば、一日一組で運転手を兼ねて2-3人を案内する。
いわば奈良の語り部的なことを予約制で受けるといったところ。
そのためには勉強することも多いのだが。

旅で一番困ることは、自分の予算と好みに見合った最上の
条件での宿や食事が予約できるかどうかだと思う。
いくつかの検索条件を入れてそれに近い宿を予約することができても、
昼の食事となると情報が不足して思うようにならず、行ってから
決めようとなるととんでもないことになる。
そうならないためにも昼食を含めて満足の行くコースを提案すると
言うのはいい考えではないかと思ったりもする。

※10年以上前に書いた文章。今年10月に定年を迎えます。

スカーリアのアンチョビフィレ

  • Day:2011.07.16 09:00
  • Cat:料理
ピザの専門店ともなると、開閉式のガラス容器に
整然と並んだアンチョビを目にします。
これは550gの徳用サイズ。一般家庭だと小さい80gの瓶が
おすすめ。ピザの盛り付けの最後に小さくちぎりながら
生地の上にちりばめていく。時に塩味を感じて
ピザにコクが加わり味が引き締まる。

アンチョビとは、本来、地中海やヨーロッパ近海でとれる
アンチョビというカタクチイワシ科の小魚の名称です。
また、それを塩漬けにしてから熟成して発酵させ、
オイルに漬けたものもアンチョビと言います。
anchovyとは英語です。イタリア語では、アッチューガ acciuga
複数の場合アッチューゲ acciugheとなり、
商品名は Filetti di acciughe
アンチョビのフィレとなります。

アンチョビの歴史は古く、古代ローマ時代のガルムは、
このアンチョビの副産物であるともいわれています。
塩味が強く、コクがあり濃厚な味わいで、
ピッツァやサラダソース、煮込み料理など、
イタリアのマンマの隠し味として欠かせない調味料です。

スカーリア社アンチョビ

スカーリア社は1979年に創業した、イタリア・シチリア島にある
アンチョビメーカーです。
大量生産するアンチョビは、塩分濃度を濃くし
温度を高めることで、熟成期間を出来るだけ短くして
出荷を早めようとします。
そのためアンチョビに白っぽい色味が残ってしまい、その味わいも塩気の
強いものになりがちです。

スカーリア社はシチリア沖で上がった新鮮なイワシを港から数分以内に位置する
工場に運び、すぐに冷蔵庫に保管。
そのすべてを0度で管理し、その日のうちに全て加工していきます。
骨抜き作業も人の手でしっかり行われているので、とても柔らかく
優しい味わいで、小骨が少ないのが特長。
シチリア・トラパニ産の自然塩で塩漬けし熟成後、
仕上げは酸化を防ぐイタリア産のひまわり油に漬け込みます。
工程作業の簡略化はせず、時間をかけて熟成を行うため、
雑味の残らないイワシの本来の柔らかさや美味しさが
感じられるものとなっています。

そんなこだわりのアンチョビの、オススメの料理はピザのトッピング、
パスタそれにバーニャカウダなどです。
少し加えるだけでよりイタリアンらしくなるのでリンデンバウムでは
欠かすことのできない食材の一つになっています。

吉川順代作 サンド・ブラストのぐい呑み「春鹿」

  • Day:2011.07.16 09:00
  • Cat:工芸
奈良漬の森社長が講義するというのでその勉強会に参加した。
奈良漬の森といえば東大寺南大門のすぐ近くに位置し
山崎屋と並ぶ奈良漬の有名店だ。

森さんの奈良漬は酒粕以外の甘み付けに水飴など
糖類を使わないことを貫き通しており、かたや
山崎屋は砂糖や水飴を使う甘口派。
ファンは圧倒的に山崎屋のほうが多いと思う。

森社長の話の中で特に印象に残ったのが酒粕のこと。
複数の酒造会社の酒粕を仕入れし、自社の貯蔵庫で
熟成させ、ブレンドしながら一年間使っていく。
この熟成と配合が最も困難な仕事だと言っていた。

大和三尺三寸という色白の長いきゅうりを
自宅の庭で栽培し苦労のすえ、大和伝統野菜に
認定を受け、契約栽培したきゅうりの商品化に
こぎつけたという熱意など。

その帰り道友人から薦められていた春鹿の直営店
立ち寄った。春鹿の名前は名醸倶楽部を担当していた
頃に知った。

日本名門酒会という地酒蔵のグループ組織に属しており、
当時はライバルの関係。
現在では奈良では梅の宿と並び欠かせない銘柄なので
販売もさせてもらっている。
春鹿の名は、神様のお使いと言われる春日神鹿にちなんだもの。
創業は、今から200年以上前というから驚く。

このお店はユニークで入店するや400円で鹿の絵柄が型抜きされた
ガラス製のぐい呑みを買う。

席にすわるときれいで若い女性が5種類の春鹿のお酒を順々に
説明しながらついでくれる。
普段なかなか経験できないことなのでついつい鼻の下が長く
なってくる。

やとなという言葉をご存知だろうか?
芸者や芸子にかわってお酒の勺をしたり酒宴を盛り上げる
「やといおんな」のことで京ことばだそうだ。
春鹿の場合、純粋にお酒を知る、利きをするのが本来の
目的だが酒が回ってくると勘違いする向きもでてくるの
ではないかと心配する。

途中酒の肴に自家製の奈良漬が出てくる。
自社の長龍の蔵開きでも試食の奈良漬で一杯飲む人を
見かけるが、個人的には酒臭い奈良漬で酒を
飲むのには相性が似すぎて今一納得がいかない。

吉川順代作 春鹿のサンドブラストグラス

ここで目に留まったのが桜と鹿の絵柄がサンドブラストで
描き出されたガラス製のぐい呑み。

青山高原のリンデンバーム工房は野生の鹿が毎日のように
見られることもあって工房に飾るために一個買い求めた。
価格は3000円。

聞けば東京で工房を開いている「吉川順代のりよ」先生に
特別に鹿の絵柄を入れて作ってもらっているとのこと。

サンドブラストとは江戸切子と同じ被せガラス(二層になった)に
図案を重ね切り抜いていきカットしたい部分だけ図案を切り
とった後に金剛砂(研磨材)を爆風=ブラストで削り取って
絵柄を浮かび上がらせる手法。

彫刻部分の深さにより、色の濃淡、ボカシなどが微妙に
調整できるの透過光をあてると見た目に鮮やかで目が
釘付けになるほどきれいに見える。

春鹿は春日大社や東大寺などの世界遺産にほど近い、
昔の風情を残す奈良町にあるので、奈良へ足を運ぶ機会が
あればぜひお立ち寄りを。日本酒好きなら寄って
大満足間違いなしの素晴らしいショップですよ。

吉野嘉兵衛の茶摘体験

  • Day:2011.07.15 09:00
  • Cat:商い
吉野茶の茶摘体験をしてきました。
訪問したのは当店がお勧めしている嘉兵衛茶のふるさと
「ましが丘」(吉野郡大淀町中増)です。

吉野といっても桜の名所まで南下せず、吉野川の北側ですから、
明日香、壷坂のすぐ南側、我が家からは車で40分ほどの距離です。

参加費用は、大人一人が1000円、それに茶作りや草餅作りに
500円、柿の葉すしが1000円、草木染が1500円等教室の費用が
別にかかります。夫婦で参加すると3000円から4000円
程度となります。

梅雨の最中で天候が心配されましたが、朝方には雨も
上がりイベントは予定通り実施されることになりました。

7月の茶畑はすでに5月の新茶を摘み終えた後の「夏茶」と
いわれる葉が開いた状態です。中でも若葉を捜しながら
摘んでいくのがポイント。

1時間で中サイズのスーパーバック1つが一人分のノルマ。
最初は黙々と摘み始めたものの30分もすると子供たちは
飽きてきたのか「まだすんの」とかブチブチ言いだしたり
遊び始めたり。

大人も中腰の姿勢が続くので「結構腰にくるで」といい
ながらも何とか1時間で袋いっぱい手に提げて公民館へ移動。

そこでボテと呼ばれる大きな背負いカゴに移し変えていきます。

「ええみんなと一緒にすんの。若葉ばかり摘んできたのに。
私の分だけ別に煎ってほしいわ」とかご無体なことをいう
おばちゃんも中には。

鍋が用意され生葉がその上で煎り始められます。
煎っては揉み、揉んでは煎るを繰り返すこと4-5回。
朝方の雨で濡れていたこともあって水分が抜けきらず中々
乾燥機にかけるまでにいたりません。

参加者の中からも「先生まだですか~」と許しを請う声。
「もうちょとやな」と先生。

たっぷり2時間かかって摘んだ時の生葉の10分の1の番茶が
出来上がり。実際の茶造りはもっと時間を掛け、念入りに
乾燥させていきますので、イベントとはいえこの短時間で
仕上げることの方が無理があるのかも知れません。

同時に他の教室では、郷土に伝わる「柿の葉すし」「草餅」
などの実習があり、出来上がった品々は持ち帰ることができます。

お昼は、ご婦人方が用意してくださった「茶粥、かやくご飯に
お漬物」女性受けするメニュです。
とくにお漬物はお手製とあって茄子の浅漬け、胡瓜の糠漬け
とも大人気でした。

広場では小麦餅の餅つきが行われ、つきあがった餅は皆さんに
ふるまわれます。もち米に小麦を混ぜてつき、きな粉を
まぶして戴くものですが、聞けば柿の葉すし共々折りに触れ
登場する郷土料理だそうです。

嘉兵衛の茶摘み体験

「もうこれで十分参加費のモトが取れた」思っていたのが、
最後に煎茶をお土産にくれるという。バスタブはあろうかという
ブリキ製のお茶入れに煎茶がうっちゃられ、各自与えられた
袋にお茶をつめていきます。

制限時間なし、ルールなしとあってこれでもかとつめて
いく様を傍から見ていると人間の性をみているようで悲しくなる。

と言いながらも小生も渦中の人に。
200g詰めれば1000円の値打ちというから参加費は実質0円。

「申し訳ない、お世話になりました。」とお礼を述べ
帰路につきました。帰ってお茶のグラム数を量ったところ、
家内が270g、私が280gでした。

次ぜひ参加したいという方、ぜひ連絡してみてください。

電話とファクス  07463-2-3468 
やすらぎの里ましが丘推進委員会事務局まで

平成15年7月6日記述

骨きり鱧には、梅びしお。7月といえば祇園祭り。

  • Day:2011.07.12 21:00
  • Cat:料理
京都の街中に長刀鉾を始めとして三十数基の山鉾が
飾られます。この祭り、応仁の乱や天明の大火、
第二次世界大戦などで中断するも千百年以上の歴史ある
文化そのものといえます。

コンチキチンの祇園囃子の音に誘われ、山鉾に駒方提灯が
灯る頃になると多くの人で盛り上がる宵山は十三日から十六日。
このお祭りのかかせないのが鱧料理。

海には面していない京都ですが淡路周辺から鱧が届き
見事なまでの骨きりの手さばきでプリンプリンの
鱧の切り落としが硝子の器に盛られて見た目にも涼しげ。
梅びしおをちょっと付けて食べる、まさに京都の夏を
代表する味覚の一つですね。

祇園祭・長刀鉾

写真は清楚でしかも豪華さがお気に入りの長刀鉾。
リンデンが行こうというので過去2回ほど祇園祭りに
出かけた。写真が趣味なので祭りの写真を撮るが、
鉾が大きすぎて人物を入れても収まりきれない。
止む無く全体でなくバストショットとなってしまう。

伝統的なパターンは日本酒や伝統的な食品のデザイン
パターンに使えそうだと祇園祭の写真集も買い求めたが、
ほとんど使うことはなかった。
後年になって何か活用できないかと考え、スキャンして
ブルーレイに残そうとした。
コンチキチンの音楽が未だに入手できずで未完成のまま
となっている。
ちなみに、祇園祭の鉾の名前は以下の通り。
1.長刀鉾 なぎなたほこ
2.霰天神山 あられてんじんやま
3.孟宗山 もうそうやま
4.芦刈山 あしかりやま
5.函谷鉾 かんこほこ
6.油天神山 あぶらてんじんやま
7.四条傘鉾 しじょうかさほこ
8.保昌山 ほうしょうやま
9.月鉾 つきほこ
10.太子山 たいしやま
11.占出山 うらでやま
12.木賊山 とくさやま
13.鶏鉾 にわとりほこ
14.伯牙山 はくがやま
15.綾傘鉾 あやかさほこ
16.郭巨山 かっきょやま
17.菊水鉾 きくすいほこ
18.白楽天山 はくらくてんやま
19.山伏山 やまぶしやま
20.蟷螂山 とうろうやま
21.放下鉾 ほうかほこ
22.岩戸山 いわとやま
23.船鉾 ふなほこ
24.北観音山 きたかんのんやま
25.橋弁慶山 はしべんけいやま
26.八幡山 はちまんやま
27.鯉山 こいやま
28.役行者山 えんのぎょうじゃやま
29.鈴鹿山 すずかやま
30.黒主山 くろぬしやま
31.浄妙山 じょうみょうやま
32.南観音山 みなみかんのんやま

伐採の後

6月12日に伐採が敢行されて約一ヶ月が経ちました。

伐採後初めて訪ねるとこの有様。
伐採の後

松の太い丸太はすでに木工所へ引き取ってもらいましたが、
枝だけが取り残されて幾重にも重なりあっています。

熱い日差しを受けて枯れかかっている枝も見受けられます。

この枝の直径5cmくらいの太さのものは薪用に残し、
それよりも細いものや松の葉を燃やすのがこれからの作業です。

量が半端じゃないので一ヶ月に4日かけたとしても
数ヶ月はかかるのではないかと思います。

日中の温度は30度を超えるので、火の周辺はさらに熱くなります。
こまめに休憩と給水(といってもビールですが)をとりながら
頑張ります。

朝は太陽が昇る5時過ぎに作業を開始。

炎天下の昼間はスペインでいうところのsiesta、
そうお昼寝です。

3日頃からまた作業を開始し日没まで。
実に健康的。
一日が終わればクタクタになります。

コナラの木

ウッドデッキのすぐ近くに小川を挟んで3本のコナラの木が
大きく育っていました。

夏は日陰になってよいのですが、雨の時はウッドデッキを
濡らしデッキを早く腐らせる原因にもなるので、家に近い
2本のコナラを切ってもらうことにしました。

作業するは伐採の2日目、その日は仕事もあり残念ながら
伐採の様子をビデオに収めることができませんでした。

半月ほどして行って見ると写真の状態になっていました。
2本の大きな幹が横たわっていました。
コナラの木

コナラの木の用途は多く、椎茸やなめこなどの栽培の原木に
使ったり、5年ほど乾燥させればテーブルにもなります。

コナラの木は硬いので薪ストーブの薪としても長時間燃える
いい薪にもなると聞きました。薪用に丸太に切って
乾燥させておくという手もあります。

昔から欲しかったテーブルがナラの木のテーブル。
飛騨高山のオークヴィレッジから発売されているもので
自然の木目を生かした無垢のもの。ナラに比べると明るい
色のコナラですがきっと近い雰囲気のテーブルに仕上がると
思っています。
さてどうなりますやら。

この2本のコナラを切ったおかげで視界が開け、
また日当たりがグンと良くなり雨の次の日のウッドデッキの

乾きも随分早くなりました。
おかげで緑色のコケみたいなものもすっかりなくなり、
すべらないようにもなり家内も大満足です。

MDHカレーパウダーは本場インドの味

  • Day:2011.07.07 21:00
  • Cat:料理
トランクスだけ身に着けた上半身裸の男の人が右手に
ハンマーみたいなものを持って地球儀の上に立って
こちらを睨んでいる。
背景には唐草模様のハーブの草が描かれている。
調理例としてチキンカレーの画像が添えられ、丁寧にも
カタカナでチキンカレーと印字されている。

MDHカレーパウダー

売り場で強いインパクトを与えるこのカレー粉は、
インドのMDH社が製造しているもので、姉妹品として
タンドリーチキン用やガラムマサラ用などもある。

仕事柄様々なレトルトカレーを試食してきたが、何か
もう一つ物足りない。というのも家族の間でもカレーの
辛さ一つとっても女性群は辛いのが苦手となるので
たいがいは辛口と中辛を混ぜて作ることになる。
となると辛口派の男性群は物足りない。

そこで考えたのが、出来上がった中辛のカレーに
MDHのカレーパウダーを加えて自分好みのカレーに
仕上げるというもの。もちろん市販のレトルトカレーに
加えてレンジで暖めても香り、コクとも引き立って
おいしい。


内容量は63g、
原材料には、コリアンダー、チリ、クミン、ターメリック、
チャナ、メース、フェヌグリーク、ブラックペッパー、
自然海塩、ドライジンジャー、カルダモン、ナツメグ、
クローブ、シナモン、キャラウェイ、アギと様々なハーブが
入っている。クミンが3g別の袋で添えられている。

輸入元の説明には、
MDH社のカレーパウダーは味、香りが豊かでスパイスの芳香感では
素晴らしいものをもちます。
このパウダーは18種類のスパイスをブレンドしたカレーパウダーで
辛さ、他スパイシーさがよく効いたカレーパウダーで約12皿分の
カレーを作ることができます。
別袋入りのクミンが入っており、それは最初の油を炒める時に一緒に
炒めると香り高いインドカレーを作ることができます。
他にもカレー炒飯、ドライカレー、カレー風味を効かしたレシピに。
とある。

実際に使った人の感想では、

「炒め物に使ってみたら、とても風味が良くてスパイシー!
後からジワッと辛くなり、後引く美味しさです。」

「とてもコクがでて美味しいカレーパウダーです。
辛いんだけど、辛いだけじゃなく、カレーの味がすると言うか。
カレーライスも美味しくできましたが、カレースープが
これまたお手軽!今までカレーパウダーだけだと何か
物足りなかったのが、これだとドンピシャ。
ちょっとハマってしまいそう。」

「結構辛いのですがそれがなかなか食欲をそそります。
野菜を煮て、このパウダーを入れて、少しミルクを足したら
美味しいスープができました。」

大和高田市 奥田の蓮とり行事

七夕が近づくにつれ、池には鮮やかなピンク色の
蓮が大輪の花を咲かせます。
奈良の名所では、西の京、天平の甍で知られる唐招提寺。
数ある品種の中でも花弁が個性的な奈良蓮に目がひかれます。
あまり知られていませんが大和高田市奥田の「蓮取り行事」が
開かれるのが七夕の7月7日。

大和高田市奥田の蓮取り

皆さんも一度はテレビで見たこともあるユーモラスな
「蛙飛び」は吉野山の蔵王堂で行われる「蓮華会」の中の行事。
この式に添えられる蓮はこの奥田の捨篠池でその早朝に
摘み取られものです。

すでに600年続いているそうです。
蓮は日の出とともに花を開き、正午頃にはすぼんでしまいます。
早起きは三文の得、花開いた蓮にご対面できればお金に
換えがたい心の安らぎが得られるかも。

蓮とり行事についての詳細をご紹介します。

「ときの流れをたどる民話がいまに生きる
 奥田の蓮とり行事」

毎年7月7日、吉野山の蔵王堂で、蓮華法会に献ぜられる蓮
は、古い時代から大和高田市奥田の蓮池から摘みとられていま
した。奥田の人々によつて、いまも年中行事の一つとして大切
にまもり伝えられている蓮とり行事や、語りつがれている「ひ
とつ目蛙」の民話などが、このことを語つています。

7月7日、夜明け前に、奥田の村人が蓮を切りとります。午
前11時ごろ、善教寺を出発した修験者の一行は、行者堂(福
田寺)、刀良売の墓を詣で、蓮を捧げます。早苗が風に揺れる
田んぼ道を一行は、捨篠池畔の弁天神社にもどり、護摩をたい
た後、吉野にむかうのです。

〔奥田蓮池のひとつ目蛙〕
昔、役小角(行者)の母(刀良売)が、奥田の蓮池で病気を
養つているとき、夏のある朝、池の中にまつつてある神社に詣
でると、白い蓮花が咲いていて、その葉には金色に光つた蛙が
いました。刀良売は、一本の篠萱を引き抜いて、何気なく蛙に
投げつけたところ、それが蛙の目にあたって、目を損じてしま
いました。そして、池の中に逃げた蛙は、もとの土色の蛙とな
つて浮いてきました。そして五色の露も消えてなくなり、一茎
二花の蓮も、もとの蓮になってしまいました。それから、この
池の蛙は、一つ目であるといわれています。また、この池の蓮
は、一本の茎に二個の花をつけた蓮であったので、めでたいこ
との前兆ではないかとして、朝廷に献じたこともあつたそうで
す。この異変ののち、この池は捨篠の池と名づけられたといい
ます。

刀良売は、それから病気が重くなり、42歳で亡くなりまし
た。母を亡くした小角は、心に誓つて修験道をひらき、吉野山
に入つて蔵王権現をあがめ、蛙をまつつて追善供養をしました。
以来、毎年7月7日は、吉野の山伏が奥田の行者堂にやって
来て、香華を献じ、蓮池の蓮(108本)を摘み、それを大峯
山中の拝所に供える蓮華会がおこなわれます。また、この日、
吉野の蔵王堂では、「蛙飛び」行事がおこなわれます。

〔役の行者の母、刀良売の物語〕
役行者の母(刀良売。とらめ)は、奥国の善教寺のあたりに
住んでいました。子どもがなかつたので、毎日、神仏に子ども
を授けてくださるようにお祈りをしていました。
ある日、刀良売は、天から金の独鈷が落ちてきて、それを飲
んだ夢を見ました。舒明天皇の6年(634年)正月、捨篠神
社に刀良売が安産を祈願していると、ふしぎなことに池の中か
ら、ホラ員の音が聞こえてきました。身重の体に、出産の近い
のをさとつて、近くの井戸の水をくみ、口をすすぎ、再び神様
に願いをかけ家に帰ると、たちまち一子が生まれました。これ
が現在、善教寺境内にある井戸で、「役の行者産湯の井戸」と
いわれています。角磨という父の名の一字をとつて、小角と名
づけました。

役行者の母(刀良売)の墓と伝えられる五輪塔が、奥田捨篠
神社の北西300メートルの田んぼの中にあります。また、奥田
行者堂に刀良売の寝姿の像があります。ネハン像といつていま
すが、目を開き唇を赤く染めて口を開いています。右手はひじ
をついて、あたかも釈迦の涅槃の光景のようです

〔役の行者と吉野の蛙とび〕
延久年間(1069~1074年)、高慢な男がいて金峯山
で修行中、蔵王権現をあなどる暴言をはいてしまいました。す
ると、どこからともなく大鷲が現れて男をさらい、断崖絶壁の
上に置き去りにしてしまつたのです。さすがの男も真つ青にな
り、震えながら自分の言動を後悔しました。そこへたまたま通
りあわせた金峯山寺の高僧が、この姿を哀れに思い、蛙の姿に
変えて助け出してやりました。

そして、蔵王堂へ連れて帰り、吉野全山の僧侶が集まって経
を読み、その功徳によって、やっと元の姿に戻すことができた
といいます。

この伝説にもとづいて、毎年7月7日の蓮華会の日に、蛙飛
び行事がおこなわれます。

布で作つた大きな青蛙の中に人が入り、青年たちがかつぐみ
こしに乗つて、吉野山の旅館街を練り歩きます。そのあと蔵王
権現の前で、数人の僧が祈るなか、布の蛙から人がはい出して
くるという行事です。

役の行者は、一千日におよぶ苦行の末に、金剛蔵王権現を感
得しました。つまり、役の行者が創造したご本尊であり、これ
を桜の本に刻んで、山上と山下の蔵王堂にまつりました。山上
の蔵王堂とは、つまり大峯山寺本堂です。蔵王権現のありがた
い神力をあがめる山伏が、この蛙飛び行事として、ユーモラス
におこなわれているものと考えられています。

〔役の行者〕
役行者は、「日本霊異記」によると、「大和の国葛木郡茅村人
で、生まれながらに賢く、村一番の博学でした。三宝を信仰し
て、これを業としていました。いつも願うことは、五色の雲に
乗つて、はてしなく大空の外に飛び、仙人の宮殿に遊ぶ、客人
と一緒になつて一億年たつても変わらぬ園に遊び、花に覆われ
た園に伏し、力を養う霞などを吸つたり食べたりすることです。
このため、晩年四十歳で、さらに厳窟に住み、かずらを着、松
を食べ、清水の泉で沐浴し、三欲の世界の垢を濯ぎ、孔雀の呪
法を修得し、ふしぎな威力のあらわれる仙術を、身につけるこ
とができました。」ということです。

伝説上の人物、架空の人物と考えられがちですが、実は、官
撰の歴史書にも登場するれつきとした実在の人物なのです。延
歴16年(797年)の「続日本紀」に不思議な登場のしかた
をしています。「文武天皇3年5月24日(699年)役君小
角、伊豆島に流される。はじめ小角は、葛木山に住み、呪術で
たたえられていた。韓国連広足は、小角に師従していたが、の
ちにそのちからをねたみ、 また、先ほどの、「日本霊異記」
には、「孔雀王の呪法を修持し異しき「験力」を得て、
現に仙となりて天に飛ぶ縁・・・・」とあります。

小角のあまりに強い呪術のため、国家転覆を謀つているとい
う、あらぬ疑いをかけられてしまいました。母刀良売を人質に
とられ、やむなく、母を逃がすため出てきてとらえられ、すぐ
さま伊豆島へ流されました。

この島に放たれて苦行を積むこと3年、大宝元年(710年)
ついに仙人となって、天に飛んで行きました。
民衆にとって美化された英雄が、「官」側に殺されるのでは
なく、実は、遠く生きのびていたのだというモチーフが、この
役行者伝説にも含まれているように思われます。

どこか源義経が、衣川で討ち死にしたのではなく、遠く蝦夷
地まで逃れた話や、筑紫君磐井が、継体天皇側の御井で討ち破
られたのではなくて、その後、豊後に逃れた話に似ていたとこ
ろがあるように思われます。

事実は、役行者は流罪のまま一生を終えたようです。人々は、
役行者という偉人を惜しんだがゆえに、のちに新羅などの遠く
の国に登場させたりしたのではないでしょうか。役の行者のこ
とは、種々の有名な文献史料に記されていますが、奥田善教寺
に、文化11年(1814年)、竹口英斉が記した「善教寺役
行者略縁起」が、残されています。

また、吉野の神官であつた、前坊家の江戸時代の文書には、
奥田蓮池の蓮とりのことが記されています。(文吉村芳倶氏)

山茶花柄に高級感漂うニューボーンの器

  • Day:2011.07.06 09:00
  • Cat:長龍
この器との出会いはある意味衝撃的だった。
ボーンチャイナといえば、ノリタケやナルミに代表される
高級磁器の総称。お皿でも5枚組となると最低でも3000円からする。
結婚式の引き出物にお使いなったという方も多いのでは?

そのボーンチャイナそっくりの器を長龍のノベルティに使おうと
いうのである。もちろん予算は限られており果たして従来通りの
予算で可能なのか疑った。

ニューボーン山茶花ティーカップ

実はこの器、ボーンチャイナではく、ニューボーンと言われる
タイプのもの。ボーンはその名の通り牛の骨を砕いた粉を
30%ほど加えて使います。1回目の焼成は釉薬をかけず
高温度で焼きます。 その後、「フリット釉」すなわち、
予め焼成してガラスにした薬の粉末で調合する釉薬を
スプレー掛けし、本焼成より低い温度で2回目の焼成である
「釉焼き」をするのが特徴です。

これに対しニューボーンには牛の骨の粉は使われません。
焼成温度は、磁器より低い1230℃~1250℃であり、
酸化焼成する事が特徴です。これにより、ボーンに近い
肌色系の柔らかい色調が生まれます。
原料も手間もボーンに比べれば普通の磁器のように
出来ることからコスト面での問題もクリアできました。

また形を簡素化し、花びらのような小鉢にしたり小皿に
したりでシリーズ化して数年間プレゼントにし
お揃いになるように企画しました。

特に赤い花柄の山茶花の絵柄は主婦に大変受けた。
お父さんにはお酒を、主婦には食器をということで
すすめやすかった。

ただ、一つ困難なこともあった。
というのは皿や小鉢は必ず電子レンジで暖める。
金彩を使えばレンジで燃えてはがれてくるということだった。
これも技師が解決してくれた。見栄えが少し落ちるが
金の含有量を10%以下に抑えれば金は燃えないという。

こうしてプレゼントが実現した。

この紅茶セットはオリジナルの品でプレゼントには
使わなかった。ペアのため青色の山茶花もあるが、
キャンペーンでは赤だけしか使わなかった。

幸兵衛窯 花鳥赤絵盃

  • Day:2011.07.06 09:00
  • Cat:工芸
人間国宝 加藤卓男は6代目幸兵衛窯の当主。
彼の監修の元に幸兵衛窯が製作したのが、
この赤絵の盃。

似た絵柄は加藤卓男作にも見受けられますが、
彼の作品には覗き部分に呉須で描いたぶどうの
絵柄があったり花押も異なるので幸兵衛窯の作品。
鳥の絵柄などはほぼそっくりのタッチで描かれている。
幸兵衛窯 赤絵酒盃

とんぼの絵柄がかわいい安南手片口盃

  • Day:2011.07.05 09:00
  • Cat:工芸

かわいい蜻蛉が染付けで描かれている。片口がつけられた
この小さな盃の名は、安南手片口形 幸兵衛窯と箱書きにある。

安南と、今のべトナムのこと。
昔中国が、ベトナムを支配していた頃の安南都護府の名に由来し、
ベトナムで焼かれていた陶器の総称である。

この手法、色合いを模したものを安南手と呼んでおり、
不思議なことに描かれるのはトンボが圧倒的に多い。
なぜ蜻蛉なのか今だにわからない。

幸兵衛窯  安南手蜻蛉柄

ベトナムでは中国陶磁器の影響のもとに早くから白磁・青磁が
焼かれていたが、14、5世紀から染付・赤絵の製作も始まり、
室町末期から江戸前期にかけて多くの安南が舶載された。

その文様は竜・獅子・鳳凰・鹿・鶴などの動物文と魚・蝶・蜻蛉のような
魚虫類、草花は牡丹文・唐草文などがあるが、絵付けがゆるい。

染付に用いられた胎土は、良質なカオリンが産出しないため
純白にならず、全体に白化粧が施され、その上に文様を描き、
灰分が多いため灰青色をおびた透明釉がかけられている。

そのため肌合いに磁器のような透明感がなく乳濁し、
元・明染付に比べ柔らかい印象となる。

透明釉が釉裏の呉須をにじませて流れるような景色のものを
「絞手(しぼりで)」と呼び、茶陶として喜ばれた。
茶碗・水指・花入・鉢などがあり、安南染付・
安南赤絵などの称がある。

野趣あふれる鼠志野のぐい呑み

  • Day:2011.07.05 09:00
  • Cat:工芸
どっしりと腰がすわった感のある肉厚のぐい飲み。
箱書きには幸兵衛窯 鼠志野とある。

鼠志野とは、成型してから鬼板(おにいた)といわれる
鉄泥を化粧掛けし、それを掻き落として文様を付け、
上に白釉を掛けたものを称している。

笹をイメージさせる文様が丁寧に描かれている。

口径が6cmほどあり見るからに男性的で野趣あふれ、
濃醇な純米酒をぐいぐいと冷やで飲むのに適している。

幸兵衛窯  鼠志野

トルコ青の馬上杯 加藤賢司作

  • Day:2011.07.04 12:00
  • Cat:工芸
写真の馬上杯は、加藤賢司の作品。左が一回り大きい。
発色は右の方が青色が鮮やかで見込みの絵柄も細やかに描かれている。
この器の名は、トルコ青馬上杯といい、今は亡き加藤賢司の作品。
誠に優美なデザインで、日本酒よりもモンゴルの馬乳酒が合うような
エキゾチックな酒器である。

トルコ青馬上杯 加藤賢司作

紀元前5000年、人類最古の有色陶器としてエジプトで生まれた
青い陶器は、現在も中近東諸国で産出されている。
加藤賢司さんがトルコに滞在中に研究を重ね、現地の伝統に
日本の伝統文化を加味させた。

馬上杯(ばじょうはい)とは、昔遠路を旅する時、馬上で酒を
飲みやすい形にした杯のことを言ったようです。馬上杯の長い高台が、
その名残であり、特徴的な形ですが、現代の卓においても、
その洗練されたフォルムは、美しく、遊び心を満足させてくれます。
酒豪で知られる戦国武将、上杉謙信も馬上杯を愛用していたと言われています。


作者紹介
加藤賢司 かとうけんじ

岐阜県多治見市出身。
京都市立美術大学工芸科陶磁器専攻卒業。
オハイオ州立大学講師、
トルコ国立イスタンブール高等美術工芸客員教授、
外務省国際交流基金派遣陶芸使節など歴任。
多治見市美術展、岐阜県美術展審査員、美濃陶芸協会参与、
岐阜大学美術工芸学科講師などを務める。

岐阜新聞大賞教育文化賞、岐阜県芸術文化顕彰、
東海伝統工芸展最高賞など受賞。

2008年74歳にて逝去。

深見陶治 マット調の青白磁の杯

  • Day:2011.07.03 11:00
  • Cat:工芸
つるつるの青磁でなく、光沢を抑えたマット調の鈍い光沢を
はなつ青白磁。口元はぎりぎりの薄さに削り上げ口当たりを
良くしている。覗きには花びらを押したように凹凸があり
変化を出している。

口径は7cmほどあり磁器だけにどっしりとした重量感がり、
キリリと冷やした純米酒がよく合う。

深見陶治作  青白磁酒杯

深見陶治(ふかみすえはる)

深見陶治は、京都泉涌寺の窯元、陸泉陶苑の深見芳一の子として
生まれ、京都市工芸指導所専科修了後、昭和42年に轆轤による
磁器の鉢で日展に初入選し(同62年まで同展に出品)、
本格的な作家活動に入っている。

一時その技術的制約から磁器を離れ陶器を手がけるが、
程なく明瞭に自らの体質が磁器の特性と相和すと自覚し、
徹底した磁器表現の追求を決意する。

現在深見が用いている技法である圧力鋳込みによる青白磁の
作品は、昭和55年に発表されている。

さまざまな試行を重ねてのち、昭和60年には、ファエンツア
国際陶芸展でグランプリを受賞。以来、国際的にも高い評価を得て、
国内外で旺盛に活動している。

深見は土に残る手跡を嫌い、圧力鋳込みの技法を選択したというが、
それは決して手技の否定ではなかった。
その作品の鋭利と見える線あるいは稜線は、注意深い成形作業によって
微量ではあるが実は豊かな抑揚をはらみ、そこに施された青白磁釉に、
たゆたう光を計量する。

深見の仕事はしばしばミニマル・アートになぞらえて語られるが、
手技を否定したミニマル・アートとは異なり、深見は周到な手技を
ひそませながら、磁土と青白磁釉の融合の可能性において、
ことに青白磁の美質の本質をなす光の解釈において、
かつて無い達成を示している。


深見陶治氏略歴

1947 京都市に生まれる
1965 京都市工芸指導所専科修了
1967 日展入選'84年展特選
1981 京都芸術新人賞受賞
1982 中日国際陶芸展大賞受賞'83年展
愛知県知事賞'84年展準大賞'85年展大賞受賞
1985 朝日陶芸展奨励賞受賞
明日をひらく日本新工芸展優秀賞・サンケイ新聞社賞受賞
1989 ユーロバリア'89ジャパン
昭和の陶芸―伝統と革新(モンス市立美術館・ベルギー)
1992 日本陶磁協会賞受賞
MOA岡田茂吉賞最優秀賞受賞
1994 クレイワーク展(国立国際美術館)
1995 ジャパニーズ・スタジオ・クラフツ 
トラディション・アンド・アヴァンギャルド展
(ヴィクトリア&アルバート美術館・イギリス)
1996 毎日芸術賞受賞

佐渡島 無名異焼 玉翠軒 国三窯 鬼面盃

  • Day:2011.07.03 09:00
  • Cat:工芸
日本酒メーカーで働いていたこともあって、酒器はいろいろと
研究もしたしプレゼントに採用したこともあった。

リンデンが昔の職場旅行で佐渡島に行った時に
お土産に買ってきてくれたのが、無名異焼の
鬼面盃である。

国三窯渡辺陶園 無名異焼鬼杯

一見普通の杯に見えるが、底を裏返すと鬼の面が現れて
飲みてを驚かせる。鬼といえば節分を思い起こすが、
この器も節分の鬼を縁起担ぎにした福の盃。
他社では覗きにお多福を描いたものもある。

酒の席を盛り上げる変形盃の一種で、可杯(べくはい)
と呼ばれるもの。中には三角錐で立たないので飲みきるまで
手が離せないものや、底に穴が開いて穴を塞ぎながら
飲まないといけないものなど楽しいものがたくさんある。


陶土は赤い粘土質のもので朱泥と呼ばれ、万古焼の急須を
髣髴とさせる。

佐渡島 無名異焼 玉翠軒 国三窯 鬼面盃
「無名異とは酸化鉄を含有する赤土で、止血のための
漢方薬でもあった。また、佐渡金山採掘の際に出土したため、
その副産物を陶土に利用して焼かれた。

文政2年に伊藤甚平が無名異を使って楽焼を焼いたのが
始まりで、安政4年に伊藤富太郎が本格化させた。

後に初代三浦常山が脆かった従来品を強くするため、
朱紫泥焼の手法を編み出し、今日に至る。高温で
焼き締めるために非常に固く、叩くと金属音のような
音を出すのが特徴。」とある。

青磁に幾く筋かのドレープ 久保田保義の青白磁

  • Day:2011.07.02 11:00
  • Cat:工芸
青磁に幾く筋かのドレープ 久保田保義の青白磁

透き通るような青磁に、いく筋かのドレープが
かかり優雅さを醸し出しています。

すっきりとした辛口の冷酒、山田錦の生囲いなどが
合う器。大きさもちょうどで手にしっくりとなじみます。

久保田保義 青白磁酒盃

作者 久保田保義 鳥ヶ丘窯 プロフィール

熊本県人吉市在住 1952年生
(陶歴)
1978年 大阪芸術大学工芸学科陶芸専攻卒業

1982年 九州・山口陶磁展第1位文部大臣奨励賞
1983年 日本工芸会正会員認定

2001年 日本陶芸展優秀作品賞毎日新聞社賞
人吉文化協会賞受賞
2002年 熊本県文化懇話会賞・くまもと県民文化賞
2008年 西部伝統工芸展朝日新聞社大賞
窯を新しくされたのを機に、雅号を久保田烈工(くぼたやすよし)
屋号を悠斗窯(ゆうとがま)に変更。
人吉美術協会会長となり現在に至る。

大名漬本舗の花だより 東吉野大又のしゃげ

  • Day:2011.07.01 22:00
  • Cat:写真
東吉野大又のしゃげ

女郎花 佐紀沢に生ふる 花かつみ かっても知らぬ 
恋もするかも 中臣女郎(万葉集)

おみなえしが咲く沢にさいている花かつみという風に、
かつてない恋に落ちているのです、私は。中臣女郎が
大伴家持に贈った歌の一つです。花かつみには諸説ありますが、
その一つがこのシャガだといわれています。

辛口の冷酒が似合う瀬戸黒のぐい呑み 加藤裕英作

  • Day:2011.07.01 09:00
  • Cat:工芸
織部といえば、黄瀬戸に緑色の釉薬を流しがけしたものを
連想するが、この人の作品で黒があることを初めて知った。

こってりとモルタールを塗ったようなつや光する
黒に、×、◎、□の絵柄がくっきりと抜かれている。

土がさくいので重たくはないが見た目はずっしりいて
いかにも辛口の冷酒が似合い、底無しの酒好きが
北雪の超大辛口の一升瓶を膝元に置いて飲むような、
そんな男性的なイメージを感じさせる器だと思う。

7代目加藤幸兵衛こと加藤裕英作黒織部酒杯

作者は、加藤裕英(7代 加藤幸兵衛)
Hirohide Kato(Kobei Kato7th)

父は唐三彩の達人、人間国宝の加藤卓男
祖父は五代目加藤幸兵衛である。

1945年生まれ 
京都市立美術大学卒業
師、近藤 悠三、清水 九兵衛 
朝日陶芸展最高賞 日展特選北斗賞・会員賞 
中日国際陶芸展準大賞・外務大臣賞 
彫刻の森美術館フジテレビ賞受賞 
日本新工芸展新工芸会員賞(2回)
・文部大臣賞 

平成7年七代加藤幸兵衛を襲名 
日本新工芸家連盟理事・審査員 
日展評議員・審査員 美濃陶芸協会会長