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香港のPV 音楽はユーミンのHONG KONG NIGHT SIGHT

  • Day:2011.10.24 21:00
  • Cat:音楽
初孫が一歳を迎える前に家族でエクシブ鳴門へ行くことが
決まり、それならハイビジョンのデジタルビデオカメラを
買おうとなった。地デジも迫ってきてエコポイントがつくことも
あり、前々から買いたいと言っていた液晶テレビと
ブルーレイのプレーヤーも併せて買うことになった。
機種は近くにシャープの工場があることもあって
シャープと決めていて結果互換性のいいソニーのカメラに
決まった。

ビデオの編集ソフトをネットで調べ日本で最も売れていると
いう「Corel Video Studio」を購入。少し遅れて完全ガイドブックも
購入し私の動画製作の日々が始まった。

この種のことは大好きで会社に入って企画という職種柄
まずカメラをマスターした。次がビデオカメラで子供たちを
移したりしていた。テレビコマーシャルの企画や製作にも
関与し京都太秦や東京、金沢の小松の編集スタジオなどで
完成の編集立会いなども経験した。
昔ならカメラや編集ソフトなど個人が買える金額の代物では
なかったがパソコンの普及とともに40インチのテレビでも
ビックリするほど綺麗な映像と音声が再生される時代になった。
いやはやうれしい限りである。

家族や親しい人にipad2 に落とした動画を見てもらっているが
その出来栄えの素晴らしさに皆々驚いている。

孫ビデオも本数を重ね40作まできた。
孫の成長と反比例して本数が段々と少なくなって
時間に余裕も出来てきたので15年前に旅行に行った
香港やバリ島、プーケット島の写真を音楽付きの
プロモーションビデオに残そうと思い立った。

当時の写真はポジフィルムに残していたので、ネットで調べ
フィルムをスキャンしてもらい解像度の高い12000pxほどの
大きなサイズの画像データに変換してもらいそれらを
つなぎあわせてデジタルフォトフレームを見ているような
動画を作った。

水の中のasia

香港編で選んだ曲はユーミンのHong King Night Sight。
この曲は1981年発売の『水の中のASIAへ』一曲で
ユーミン・レパートリーで唯一本人が作曲していないナンバー
でご主人の松任谷正隆の曲をカバーしている。
昔のレコードから Sound it というデジタル変換の
ソフトを使い、全曲では長すぎるので機内で流れるSE音や
途中をカットするなどして3分の長さに編集した。

我ながらいい出来栄えだと一人悦に入っているが、まだ
一緒に旅行に行ったメンバーには動画の存在を伝えてもいない。
バリ島編、プーケット島編が完成したら一枚のブルーレイに
焼いて見てもらうと思っている。
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100万ドルの夜景、香港島

  • Day:2011.10.22 21:00
  • Cat:旅行
会社の社員旅行で最初に行った海外が香港島だった。
きっかけは単純でどこかいこうとなった時に香港が
99年間のイギリスの統治から中国に返還される、
その前行こうやないかということだった。
1996年の12月なので既に15年以上も昔になってしまった。
最高で3泊4日しか休めない部署事情もあって近場が選ばれた。

そうして総勢15名でいざ香港へ。

香港の夜景

香港は観光する所も少なくグルメとショッピングが中心になった。
買い物といってもブランド品を買いあさるほどのお金もなく、
またその気持ちもなく、日本に置き去りにした妻や子供への
懺悔の気持ちからナイキのシューズや時計を買っておしまい。

あとはひたすら食べることに専念した。
初日からブイブイと飛ばしたもんだから2日目の昼ぐらいから
香港特有の匂い、きけば香辛料のコーリアンダーの香りでは
ないかというが、その香りに気分が悪くなりいささか食欲も減退。

折角だからという誘いでオプションツアーのマカオへ行き、
たまたま入った洋食屋さんでワインや西洋料理に触れ気分も
リセットし晴れやかになった。

その日に香港へ戻り、夕食は北京料理では知られたという店へ。
といっても今では何という名だったか思い出せないのだが。

さあ何を注文しようと相談するも、メニューには中国語しか
書かれてなく実態が不明。「焼」だの「炒」だの「蒸」だのの
字を頼りに数種類注文。指で指してこれとこれとこれを
なんてやるものだから何が出てくるのか来てのお楽しみ状態。

それでも何とか思いに近い料理が運ばれてきてやれやれ。
味はというと本当に良く出来ており日本の有名な中華料理店に
ひけをとらない。それでいて料金は一人2千円弱という安く
ついてまたまた大満足。

香港では最初から、かの有名な夜景を撮るぞと意気込み、
日本から携帯型の三脚を持参。休憩所の建物の庇によじ登り
必死の思いで撮影。寒空の中で長時間露出を試み何とか
それらしき写真が出来上がりやれやれって感じ。
帰国後ポストカードにし、同行のメンバーに進呈し
喜んでもらった。

黒豆といりこのおつまみは冷酒に最高

  • Day:2011.10.20 21:00
  • Cat:料理
焙煎した黒豆の香ばしさ。
いりこもカリカリに乾燥させており、噛めば「パリっ、コリっ」。

おつまみなのかお茶うけなのか?

女性群にとっては気にかかるカルシューム。
年齢とともに骨密度が下がっていくので、ちょっとした
ことで骨折したりもします。

できるだけカルシュームが多く含まれた食品を食べたいと
思うが毎日鰯の煮つけを食べるわけにもいかないし・・・

志賀の黒豆いりこ

この、黒豆といりこ はその点非常に栄養バランスが
整ったもの。黒豆にはイソフラボンが、いわしには
カルシュームが、まさに女性におすすめな一品です。
小生はというと日本酒のアテに良く食べています。
どういうわけか黒豆が先になくなり、最後はいりこ
だけになってしまう。

冷酒に良くあうおつまみとしておすすめ。


「お母さんには話が進む「お友達とのお茶タイムに」
甘辛く味付けされた鰯と香味焙煎された黒大豆が
見事に調和!

見るからにカルシウムの塊ですね~袋内の黒豆と鰯で
カルシウム390mg摂取できます
※学校給食用牛乳2本分より多いのですよとの説明あり。」

Cool Struttin’ クールストラッティンにぞっこん

  • Day:2011.10.19 19:00
  • Cat:音楽
卓球部は半年もしないうちに次第に行かなくなって、
その内に行きにくくなって最後は幽霊会員に。

かたや軟派なクラブ、放送研究会は拘束されることも少なく
大学4年間在籍していた。そのクラブには数人しかいない
女子学生が、しかも別嬪さん二人が在籍していたことに
魅かれていたこともある。

この部は映像のない音声だけでドラマを作る部活で、シナリオ原稿を
書く人、ナレーター、音声録音といった役割に分かれていた。

私はというと先輩の江藤さんが録音担当だったこともあって、
彼の指導を受けてオープンリールのデッキを抱え、ヘッドフォンを
離さずに過ごしていた。

先輩の江藤さんは最初はロック、ビートルズや
ストーンズ、ジャニス・ジョップリン、ディープパープルなどを
聞いていたが、部でもジャズがいいぞと先輩たちが言い始め競って
ジャズのレコードを買い集めるようになっていった。

最初はかっこいいが先行して無理やりに聞いていたように思う。
ある日、名盤の復刻ということでブルーノートレーベルからソニー
クラークの『クールストラッティン』が発売され、江藤先輩のステレオで
聞かせてもらって「これはいい」とジャズの魅力に始めてはまった。

Cool Struttin’

佐世保市には米海軍の基地がありベトナム戦争は終結していたが、
基地で働くアメリカ人も多く、外人専用のバーやクラブがあった。
時々ジャズ喫茶ダウンビートでも米兵と一緒になったりしていた。

そんな理由でジャズを聞き始め、その内江藤さんがジョンコルトレーンが
いいといえば同じようにコルトレーンのレコードを買ってはこのレコードの
どこがいいのか、「我慢の子」で聞いていたように思う。

ジャズの形式もたくさんあり、もっとも好んで聞いたのは私が生まれた頃の
1950年代のハードバップと呼ばれるジャンルだった。

雑誌スイングジャーナルなどで推奨されたレコードをほとんどのバイト代を
つぎ込んでは買い集め、結局卒業までに300枚近いレコードを持った。

一時はこのレコードでジャズ喫茶を始めよう。
店の名は京都にあったシアンクレールをもじって「フータラヌーリー」に
しよかとか真面目に考えていた。

年齢とともにアバンギャルドな内容がしんどくなり、またレコードを
聞いてて途中で眠ってしまったりでCDみたいな訳にはいかず、
徐々に聞かなくなっていった。

人生の折り返し点を過ぎた頃から趣味の時間も増え、精神的な拠り所を
求める意味でも今一度環境を整えて聞こうと思い直したことが、
和室を改装してジャズのレコード棚とステレオが納まる書斎を
リフォームすることにつながっていった。

タイ・プーケット島で一人冒険

  • Day:2011.10.18 21:00
  • Cat:旅行
会社の社員旅行で訪ねた3年目の旅先がタイのプーケット島。
最初が香港、次年度がバリ島、3年目がプーケット島。

日数と予算の制約からやはり東南アジアがとなってしまう。
行くまではそれどこというメンバーが多く、なるほど
世界地図を見てもタイのバンコックから南へ下がったところに
表示されている小さな島だった。

3年目ともなるとだんだん慣れてきて皆と同じ行動もなんだからと
いうことで、ここは一人思い切ってバイクを借りて撮影旅行に
いざいこうと繰り出す。
今思えば随分無茶なことをしたなと振り返る。

ビーチサイドのレンタルバイク屋で朝食後日本の免許証を人質に
バイクを入手。プーケットのガイドブックを見ながら景勝地を
南側から順に一周しようと出発。幸いにいて天候にも恵まれ、
景勝地の海の景色をいくつか収めることができた。

タイ・プーケット島

特に島の南側のはずれにある入り江を高台から構えていた時に
太陽がさんさんと降り注ぎ眼にも鮮やかなマリンブルーから
コバルトブルーにグラデーションを描くアマンダンの海が
撮れたときは手ごたえを感じた。

日本に帰ったときも現像があがってきて印象に残るその景色が
そのままか或いはそれ以上に美しくあった時には一人にやにやしたりも
する。

昼は偶然見つけた浜の近くの食堂に入り、ガイドブックを見ながら
ビーフンのやきそばを注文。
果たして言葉が通じるか心配したものの一発でOK。

とはいえ料理が出てくるまでは本当に通じたか心配しながら
待つこと10分。
注文通りの品が出てきた時にはほっとしたもんです。

海に太陽が沈んでいくという有名なスポットがありそこで
夕焼けを待つが残念ながら雲が多い日でそれは実現せず。
夕方帰った時はメンバーは食事に行った後で仕方なく一人で食事に。

最終日で現地の貨幣の持ち越しもあったので、ちと知れたホテルで
食事をすることに。

小汚い格好をしていたし、一人だったためホテルのウエイターから
英語であんたは日本人と聞かれそうだと答えて始めてオーダーを聞く
あたりは無銭飲食をたくらむ男に見えたのかも知れない。

3回目のトムヤンクンとグリーンカレーを注文。
トム君は3回とも味が違ったがそれぞれおいしいと感じた。
前日食べたグルーンカレーがそう辛くもなかったので、
一気にご飯にカレーをかけて大失敗。

2-3口目くらいから口から火をふきそうなくらいの辛さで
辛いものに慣れたこの私でさえ、ヒーヒーいいながらやっとの思いで
食べきったという苦い経験をさせてもらった。

狭い島ということや外国人の観光客で経済が成り立っているという
事情もあって完成された島の印象が拭えず、その点バリ島は
地元民が土着して生活している印象もあってどっちをと
問われれば、私は今一度バリ島へ行きたいと思う。







バリ島ウブド 農夫の笑顔

  • Day:2011.10.15 21:00
  • Cat:旅行
昔、慰安旅行と称し会社や部署で行っていた社員旅行。
その後会社は一人3万円の補助を支給するようになり、
時の上司がワインの担当で諸外国に行っていたこともあって
その予算に毎月積み立て金を加え、皆で海外へ行こうと相成りました。

最初が香港で、ちょうど香港が99年間のイギリスの統治下から
中国へ返還される前の年の12月に行きました。

バリ島へはその翌年に。関西空港から乗り込んだ飛行機は
ブルネイ航空で、乗って始めて知ったのはイスラム宗教の
国だったこと。機内での飲み物にアルコールは一切なし。

ワイン担当の時の上司曰く、「とんでもない飛行機だ」と。

トランジットも含め9時間近くというものアルコールがない
というのは耐えがたいものです。

幸いにして私は関西空港の売店で見つけた四万十川の
無手無冠(むてむか)のアルミ缶に入ったオシャレな
日本酒を3缶持っており、それらを分け合って舐める
ようにして飲んだものです。

幹事のS君は天理大学でインドネシア語を専攻したとあって
現地人とも話しが通じ、彼がいたからこそこの海外旅行が
実現したと今でも彼に感謝しています。

その彼の風貌は色が黒く濃いタイプの人で南方からやって
来たといわれても頷くような感じ。
彼のおかげで安く旅行が出来たと思う。でもその彼にして
このブルネイの機内が飲酒禁止だということを乗ってから
知ったと行っていた。
不思議とガイドブックには書かれていない事実に驚きです。


バリ島の印象は非常に良く、私の口に、眼に心地よいものでした。
ガムランという音楽、ケチャという名のダンス、バリ特有の絵画、
貴金属の加工、バティックという染色、これらの文化的な匂いと
サティやミーアゴレンなどの料理、それにビンタンビール、
どれをとっても気に入るものばかり。

バリ島ウブド棚田の農夫


バリでは200枚近くの写真をとり、中でもウブドの芸術村を訪ね、
その帰りに立ち寄った棚田で現地の農夫が構えた
カメラのフレームの中に現れカメラに向かってほほえんでくれた
シーンが偶然の賜物として気に入っている。

それとケチャのダンスで女性が艶やかに踊るシーンをズームで狙い、
暗がりの中で人が流れるように移った妖艶な一枚もベストショットだと
思っている。

ホテルの朝食にはコンチネンタルブレックファーストもあったが
滞在中はずうっとミーアゴレンと呼ぶ日本で言うところの『焼きそば』に
ビンタンビールが私の日課となりました。

通りを歩く現地の人やホテルで働く人を眺めながらの朝のひと時は
本当に心地よいものでした。

聞けば日本の女性もバリの魅力に触れ現地の男性と結婚して
バリに住みすいたという人もいると言う。

亜熱帯の土地ゆえの日本の梅雨を思わす蒸し暑ささえなければ
きっとハワイにも負けない旅先になるのではないだろうか。

今一度訪ねてみたい旅先の筆頭に私はバリ島を上げている。

絵画、バティック、ガムラン。バリ島の魅力は尽きない。

  • Day:2011.10.13 21:00
  • Cat:旅行
1997年12月と撮影日が写真に残っている。
すでに15年も経っている。

毎月積み立てて海外へ行こうという話しがまとまって
初年度返還前の香港へ行った。
その次の年がバリ島だった。

仕事柄長期間は休めないので仕事が終わったその日の夜のフライトで
出発、帰って来たその日の朝から仕事に戻るという、かなりハードな
海外旅行になってしまう。
しかも旅行に行ける時期は12月の初旬と決まっている。
他の職場は一年で一番忙しい稼ぎ時だが、
企画部門は12月の方針発表を済ませば急に暇になる。

初めてのバリ島なので観光地を一通り巡ったらもう帰国という
慌しい旅行だったが国内旅行にはない強い印象を受けた。

12月は乾季なのでスコールは少なかったが、気温は30度近くあり、
しかも湿度が高い。日本の梅雨時期の気候と良く似ている。

バリ島のケチャダンス

写真は優雅に舞うバリ舞踊の一瞬をフラッシュなしで捉えたもの。
女性が動くので少し画像が流れているが雰囲気は出ていると思う。

ケチャは、上半身裸で腰布を巻いた数十人(百人を超えることもある)
の男性が、幾重にも重なった円陣を組んであぐら座りをする。
リズムとパート、ケチャの合唱は、端的に言えば
「打楽器で表現すべきメロディのないリズム・パートを口三味線で唱える」
ものである。
サルの鳴き声を模倣したピッチを持たない「チャッ」「チャッ」というような
発声をする。
チャ チャ チャ チャ チャ チャ チャと
小さい声から大きな声、早いリズムへとめまぐるしく変わっていく。

バリには絵画やバティックという染色、彫刻など芸術的な高さと
ガムランという音楽それにケチャを始めとする舞踏がある。
ガムランの心を癒す音には今までにない強い印象を受けた。

もう一度訪れてみたい都市の一つである。

ケチャックダンスの解説
(KECAK DANCE)
音、ケチャックは洸惚状態にある娘たちが踊るサンヤンという踊りに
伴ったコーラスの事でした。サンヤンダンスは洸惚状態にある娘たちを通じて、
祖先の願いを聞くことを目的としています。

現在ではケチャックダンスはラーマヤーナ物語をもとに踊られています。
物語の概要は、次の通りです。

ラーマは、アヨディア王国の王子で王位継承者でした。しかし、父王が
継母と継母の生んだ子を王にすると約束していた事を知り、妻のシタと
弟のラクサマナを従ね圧宮を去り、ダンダカの森に入りました。
その森で一匹の黄金の鹿に出会いました。シタがそれを生け捕りにして
欲しいと願ったので、ラーマに続いてラクサマナがこの鹿を追いました。
無防備で一人取り残されたシタは、アレンカ王国の悪の大王ラワナに
捕わられ連れ去られてしまいました。猿王スグリワを司令官にした
猿軍に導かれたラーマは、アレンカ王国を攻撃し、結局ラーマ側の
勝利でこの戦いは終わりました。

以下1幕ごとに解説します。
(第1幕)
王子ラーマ、妃のシタ、後から弟のラクサマナ登場。
突然、黄金の鹿が現れる。シタはラーマに黄金の鹿を生け捕りにして
くれるよう頼む。ラーマは弟のラクサマナに妻を守らせ自分は鹿を追う。

(第2幕
)しばらくすると、遠くから救いを求める声が聞こえてくる。
それを王子の声と思った妃は、弟のラクサマナに救助に向かうよう命令する。
しかし、兄の力を信じる弟は、シタの命令を拒む。
しかし、シタは早く助けに行くよう促し、時間を稼いで兄を見殺しにし、
自分と結婚するつもりなのかと糾明する。怒った弟はすぐ兄の後を追う。
悪魔の大王ラワナ登場。シタを誘拐し自分の宮殿に連れて行く。

(第3幕)
ラワナ大王の姪、 トウリジャタにつきそわれて、シタはラワナの宮殿内にいる。
愛する夫から引き裂かれた、自分の不幸を嘆き悲しんでいる。
そこへ猿のハノマンがラーマの指輪と伝言を持って現れる。そこでシタは、
自分が元気でいる事、早く救いに来るよう望んでいる事等を述べて、
自分の髪飾りをハノマンに託す。

(第4幕)
従者トウワレンに付き添われたラーマは戦場にいる。ラーマは従者と共に
誘拐されたシタの件で悩んでいる。そこを悪の大王ラワナの息子のメガナグに
狙われる。
メガナダはラーマに魔法の矢を放つ。するとその矢は大蛇になってラーマ王子に
巻き付く。従者は大いに悲しみジャタユ(大きな鳥)に、助けを求める。
登場したジャタユは、蛇を食いちぎリラーマを助ける。

(第5幕)
猿王スグリワ登場。スグリワは猿軍を集め士気を高める。グループは2つに分かれ、
1つはラワナの軍、もう1つはスグリワ指揮の軍になる。スグリヮとメガナダは
決戦の末、ついに、スグリワの勝利となる。ラーマは勝利をおさめ無事シタと再会する。

―終リー

ヤドリギの下でキスをする二人・・・ ミラノにて

  • Day:2011.10.12 21:00
  • Cat:旅行
2010年1月に5年前から行くと公言していたイタリアへ
初めて行った。最初に訪れた都市がミラノ。

スカラ座のCD・書籍売り場を見てドーモ広場に繋がっていく
ガレリアへ。
正確にはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア。
イタリア王国の初代国王の名にちなんで名づけられた
ガッレリア。英語ではギャラリー、画廊ではなくて
回廊=アーケードのこと。
イタリアの建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1865年から
1877年の間に建設されたとあるので今から135年前に完成したことになる。

余談ながら東京ディズニーランドのワールドバザールはこのガッレリアを
モデルに作られたときく。

そこで偶然にシャッターチャンスに出会った。
それがこの写真。


ヤドリギの下でキスをする二人
とある銀行が企画したイベントで、
中央の舞台に上がり、大きなヤドリギの葉の下で
キスをすると、上のドームに青いライトが点灯するというもの。

「クリスマスにヤドリギの下で女性に出会ったらキスをしても良い。
いやキスをしなくてはならない。そしてヤドリギの葉を掴んで
キスをした二人は結ばれ永遠に別れない。」
これが北欧のヤドリギ伝説です。

銀行は1キスにつき1ユーロをウガンダのこども達に寄付をする。
10万キスが目標だそうだ。

イベントの趣旨がわかっても私達にはその勇気もないし、
ただ外国人がキスをするのを遠巻きに見てるだけ。
女性は金髪でスタイルはいいし絵になる。
というよりいい写真になる。

キッスの写真では、「パリ市庁舎前のキス」があまりにも有名。
パリ市庁舎前で、突然、男性が女性の顔に覆いかぶさるような感じで
キスをした一瞬を捉えた写真。とっても、ロマンチック。
フランスを代表する写真家ロベール・ドアノーの1950年の作品。

それには到底かなわないが我ながらまずまずの写真がとれたと
自己満足している。構図はパリ市庁舎前のキスに似ているが
女性の顔が見えないのが少し残念か?
はたまた美女をイメージして却って良かったのかも知れない。

収集癖・ゴルフのマーカー

最初は上司の誘いだった。
「お得意先がゴルフコンペをするから一緒に行かないか?」

それまでは数回ゴルフの練習場へ行ったくらい。
クラブも兄から譲り受けたハーフセット。
ゴルフシューズは持っていない状態だった。

当然スコアーはがたがた、自分でスコアーを数える余裕もなく
上手な人が、今のは8打とか教えてもらってスコアーカードに
書くというありさま。

それが段々と上達するにつれすっかりはまってしまって
小さい子供や奥さんを置き去りにしてゴルフに出かけることもしばしば。

会社でもゴルフ会がありその事務局をまかされるように
なっていった。時代はバブル景気の真っ只中、当然ゴルフ人口も
増えエントリーもままならない。

メンバーコースだと5人のメンバーが加わらないと5組の
コンペが開催できないといった状況になっていた。

仕方なく伊賀パブリック樟葉のパブリックなどを、予約日に
数人がかりで仕事をそっちのけで電話をかけやっとこせ
予約を取るなんてことをしていた。

ゴルフのマーカー

写真のゴルフマークは過去プレーしたゴルフ場のもので
記念に持ち帰り集めていたもの。小生は収集癖があり、
ジャズレコードや喫茶店のマッチ、空いたショートホープの
空き箱などなど・・・

還暦を前に断捨離(だんしゃり)しようと整理していたら
大量に出てきた。リンデンバウム青山高原のハーブガーデンの
準備や孫太郎のプレゼントなどで小遣いも限られてきて
今ではすっかりゴルフ熱も冷めてきた。

変わりに長男が最近ゴルフにはまってきている。
二人目の子供がお腹にいてるというのに毎月のように
ゴルフへ出かけているらしい。

スコアを聞くとまだ本コースには出てはいけないスコアー
なので早く自分の限界を悟って諦めてほしいと思う。


大名漬本舗の花だより

  • Day:2011.10.07 01:00
  • Cat:写真
明日香の甘樫丘に上る途中の小さな池に咲いていた
白く可憐な蓮の花に目がとまりました。

明日香の蓮の花

標高148m。東西に数百m、南北に1kmほど広がっている。
丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。

甘樫の丘の小さな池に睡蓮が咲いています。「睡蓮」の
名は夕方に花を閉じ始めることから眠る蓮、すなわち、
睡蓮。未の刻午後2時ごろに花を開くことから、古来、
未草(ひつじぐさ)とよんでいたそうです。
枯れ姿を人に見せることなく、水中に沈んでいくそうです。

老いも若きも、はまる、はまる、サイコロゲーム

  • Day:2011.10.02 21:00
  • Cat:商い
『ではサイコロをふってください。
チャンスは2回、数の多いほうをとります。
7が出ますと10倍の70ポイント。
7以外は5倍のポイントです。』

7がでようものなら大騒ぎ。
『今日はついてるわ。宝くじ買いにいかんとあかんわ。』

ラッキー7サイコロゲームは、お客様の一言から始まった。
『夫婦二人きりなんでポイントはなかなかたまらない。』

月一回でいいから毎回来て欲しいとの思いで始めたポイント
カードも購買金額が少ない人にとっては意味をなさない。
普段の日は100円で1ポイント、特売期間中はポイント2倍。
特売で2000円買ってもらってポイントは40点。500点で
500円の買い物からポイント引きなので13回買って500点超え。
月一回だと一年かかってしまう。これでは恩恵を受けている
印象は少ない。

そこで思いついたのがサイコロゲーム。
最初は全員に百均で販売している種の菓子類をおまけにつけたり、
ガラガラ抽選などをしていたが買い上げ金額とは連動しないので
大口客ほど不満を漏らす。

閉店したお店のレジ機を使わされる羽目になった。
このレジにポイントカードの読み取り機がついていたので
レジ連動型のカードを使うことに決めた。

このレジのキーの一つにポイント訂正という項目があり
ポイントの追加訂正ができる。
ここに目をつけラッキー7ゲームの結果をポイントで
加算することにした。

実は昔子供たちを集めたイベントで30cm角の大きなサイコロを
使い出た目の賞品をプレゼントするということをやったことが
あった。これをヒントに店内でサイコロができないか・・・

学生時代によく遊んだ麻雀の、最初の親を決めるときの2つの
サイコロ。これをお客さんにやってもらうことにした。
これなら小さいお子さんでもご年配の方でもできるし、
場所も取らない。ゲームのルール説明も簡単ですむ。

しっかりとしたお菓子の空き箱を利用し、そこでサイコロを
振ってもらっていたが今ひとつ博打らしいムードが出ない。
そんな問題を抱えながら別の用事で東急ハンズで商品を
探していたら写真の跳び箱に出逢った。

これだ!! とピンときた。

サイコロと跳び箱

箱の底は木のままだったのでサイコロが跳ねるし音もうるさいので、
バカラ賭博や麻雀をイメージする緑色の毛氈をボンドで張り付けた。
サイコロも白でなく一回り大きいオレンジ色を選んだ。

思惑通り、跳び箱が懐かしいとか変わっているとかいいながら
楽しそうにサイコロを振る。中にはこれが楽しみでと毎月
欠かさずに千円の買い物をする律儀なお客さん、7を良く出す
子供を必ず連れてくる親、7は出たことがないと物々言いながら
振って7が出たら大騒ぎするおばあちゃん。

こんな調子で今もサイコロゲームは続いており、
しっかりと固定客作りに役立っている。