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ジャズ喫茶のマッチ

  • Day:2015.01.15 12:21
  • Cat:音楽
リンデンが写真を整理したらといい数冊のフリーアルバムを引っ張りだしてきた。
懐かしい写真を眺めていると最後の一冊はマッチのファイルだった。
自分でもすっかり忘れていたジャズ喫茶のマッチだ。

ジャズ喫茶のマッチ

大学一年の時に放送研究会に入り江頭氏の影響を受けてジャズを聴くようになった。
最初にいいと思ったのは「クールス・トッラッティン」だった。それからは
レコードの蒐集に凝り学生時代に300枚のLPレコードが集まった。

学生時代を4年間過ごした佐世保には米軍の基地があった。米兵相手の
商売もありいかがわしいネオン街もあった。そんな一角にジャズ喫茶
「ダウンビート」があり時々出入りしていた。外人も多く中には
ウインストンという煙草を指が焦げるんじゃないかと心配するほど
短くなるまで吸っていた黒人もいた。彼にヘイ、ボーイと呼ばれ
煙草をもらったこともある。

大学の夏休みには東京の姉達を頼り建築工場のアルバイトをして小遣いを稼ぎ
そのお金で新宿や渋谷、吉祥寺の名だたるジャズ喫茶に入り浸った。
姉の一人の和美さんは美容師だったがこの人がしゃれていた。
郷里の日田に帰ってくる時も月餅という中華菓子や茶葉と専用の紅茶ポットなどを
土産にする人だった。ジャズも好きと言いグレンミラーなどのレコードを
持っていた。彼女の練馬の家に宿泊し吉祥寺までバスで通ったりもした。
大阪にも姉がいてその当時は尼崎に住んでいたのでここから京都に通った。
「20歳の原点」の著者高野悦子が通った「しあんくれーる」にいったりもした。

飯田に就職した最初の年は、小売りのやまとに配属された。寮は奈良市の
学園前にありジャズが好きだという話から黒田先輩と同期の島田の3人で
たびたび京都にいった。島田は大学が京都だったのでジャズ喫茶インパクトで
アルバイトしていたといいマスターとも親しく彼からライブのチケットを
買いソニーロリンズなどのライブにもいった。彼にもいろいろ影響を受けた。

初のボーナスで買う事になったアンプを指定したのも島田で、管球式の
ラックスマンだった。奈良から電気街の日本橋に買いに行った。
黒田先輩も一緒で20キロ近いアンプを三人代わりばんこに近鉄電車で
持ち帰った。

店にいったらジャズ喫茶のマッチを必ずもらって帰る事にしていた。
一時は下宿先の壁に押しピンで差込みパネルのように飾っていた。

社会人になり引っ越す時にこれはというマッチだけをアルバムにしたようだ。
自分でもすっかり忘れていた「青春の思い出」。
今回をこれを機会にすべて捨てる事にした。
思い出深い4軒のマッチだけはスキャンしてデータで残す事にした。
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